嘴亭萌え狼らくご「三角ビキニ」

<鑑賞>
 「実は本日、お客様方にお伝えしなければならないことがございます。わたくし嘴亭萌え狼、今日はこの着物の下に、ビキニを着ております。はい。三角ビキニでございます……」という告白で話が始まる。その瞬間、寄席の空気は一変する。

<解説>
 この落語は、「物語」が展開するわけではない。登場人物はおらず、萌え狼が萌え狼として、ビキニを纏うことによって派生するさまざまな心の動きについて、赤裸々に吐露し続ける。つまり通常の落語が「小説」だとすれば、これは「エッセイ」ということになり、落語の範疇からは外れるという見方もある。それは落語が始まる前の雑談、いわゆるマクラで語られるべき事柄であるし、あるいはこのネタをする際に限っては、萌え狼は落語家ではなく漫談家となる、という捉え方もある。しかし扇子を箸に見立て、手拭いを財布に見立てるという、落語の基本があるからこそ、その究極形として初老(この噺を始めたのは萌え狼が66歳の時分である)のおじさんが着物の下にビキニ、という想像の世界が成立するのだと筆者は信じる。萌え狼がこの噺を高座にかける際、実際にビキニを身に着けていたかどうかは定かではないし、それを詳らかにしようとするのは野暮というものだ。肝要なのは、萌え狼の言葉によって、客席の人間から見る萌え狼の着物の下には、確かに三角ビキニが現出した、というその点である。衣装や舞台装置に頼らず、言葉だけで異世界を生み出すという、それは紛うことなき落語の本分ではないだろうか。異世界とは、江戸時代の話をしなければ異世界ではない、というわけではなく、初老のおじさんが服の下にビキニを着ている(かもしれない)という事実だけで、簡単に異世界になり得るのである。この噺を取り上げて萌え狼を邪道と見做す向きがあるが、どうして、萌え狼の落語という芸への志はきわめて高いと言わざるを得ない。もはやこれは一話芸としての落語の領域を超え、インスタレーションとしてのアートに昇華していると言っても過言ではない。