LINEをはじめたことで若干錯乱している部分


 意外だと思うだろうけど、実はこれまでLINEをやってなかった。だって必要ないと思っていたんだ。そんなツールなんかなくたって、ハートとハート、心と心、精神体と精神体で、俺とみんなは繋がってる。会いたいときに会いたい奴の守護霊に会えるし、飲みたいときに飲みたい奴の守護霊と飲める。だから必要ない。そもそもそんな文明の利器を使わないと保てないような関係、逆に寂しくないか? と思っていた。
 でもさ、どうしたって抗えないよな。ちょっとした自治体くらいの人数から、どうかLINEはじめてくれよと懇願されたら、さすがに無理。さしもの俺も根負けした。白旗を揚げるほかなかった。やれやれ、わーったよ、と。LINEはじめますよ、はじめればいいんだろ、と。俺がその宣言をした途端、夜明けまではまだまだの時間だったのに、ちょっと東の空が明るくなったような気がした。その光の先で、これまでこの世界に存在しなかった、子どもを産めるはずがない、普通なら出会うことさえない、ちがう生きものとちがう生きものの、あいの子が誕生したのだと直感的に分かった。普通に考えたらあり得ない、そんな奇蹟も、この瞬間になら起り得るし、その新しい生きものは、たくさんの人たちの歓喜を糧にして育っていけばいいと思い、俺はその生きものにツナガリという名前をつけた。
 つって、そんなロマンチックなことを考えていられたのは秒のことで、それからあとはもう、着信音の嵐。バイブの嵐。タブレットがあまりにもバイブし続けるので、逆に振動しているのはタブレット以外の世界のほうなんじゃないかと思った。画面を見ればもちろん「知り合いかも?」の連続。僕のLINEという巨大ダムがとうとう決壊したことで、溜まりに溜まったものが一気に溢れ出た恰好だ。俺はすぐに川下の集落へ避難を呼びかけた。でも人は逃げることができても、川に棲む生きものはどうなる? 急激に増した水流によって彼らの世界はめちゃくちゃにされて、ともすれば命を落とすことがあるかもしれない。そして川に棲む生きものを食べて生きる陸の生きものもまた──。そういうことに思いを馳せると、やっぱり俺はLINEをはじめないほうがよかったのかな、なんて思ってしまう。生態系を崩すためにLINEをはじめたわけじゃないのに。
 でもそのときだった。激しい水流に飲み込まれそうになっている里山。その様をただ見つめるしかなかった僕の前に、見たこともない巨大な生きものが現れた。すぐに分かった。これが、僕がLINEをはじめた瞬間に生まれた奇蹟の生きもの、ツナガリであることが。ツナガリは襲いかかる水流に、怯むことなく立ち向かった。そして見事に、水流という水流をこらしめたのである! かくして里山の平和は保たれた。でもその代償はあまりにも大きかった。ツナガリはもはや虫の息だった。頬はこけ、口からでろりと垂れる舌は尖端が四つに割れ、鼻筋は通り、五つある瞳はもはや六つになろうとしていた。ツナガリの命がそう長くないことは明らかだった。ツナガリの体から発せられる強烈な硫黄臭がギリギリ大丈夫な距離から、僕はツナガリの往生を見守っていた。三、四分でカタがつくと思っていたからだ。そうしたらわりと長引いた。それどころか、どんどん回復していくのだった。驚異の治癒能力! そして傷が癒え、生命力が回復するにつれて、強まっていく刺激臭。僕は全速力でツナガリから距離を取った。しかし全回復したツナガリの能力たるや! 頭上の太陽が隠れ、暗くなったと思ったら、僕を跳び越えてツナガリは眼前に立っていた。そのときの僕の絶望感が解るだろうか。これまでの人生で抱いた絶望感なんて、希望でしかないと悟った。僕が最期に見たのは、ツナガリの十三本ある前脚が一斉にこちらに襲い掛かり、そのうちの一本の手のひらにあたる部分に、なぜかいたずらがきでよく見られる女性器のマークが記されているという、そんな情景だった。
 気付けば僕はベッドに横になっていた。白いシーツ。白い部屋。窓の外には海が広がっていた。「気が付いたかね」すぐそばから声がして振り返ると、そこにはひとりの男が立っていた。「君は三日も寝ていたのだよ」頭にはいろいろな疑問が浮かんでいたけれど、なにより気になったのは、この男は三日間、ずっと寝ている僕のことをすぐそばで見つめていたのかという点で、そうだとしたらこの世のどんな事象よりもおそろしいじゃないか! と思った。だからまずそれを訊ねた。そうしたら男は少し微笑んだあと、コクリと頷いた。それが俺とペンネグ・ラタンとの出会い。